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白魔女の館

普通って何だ?

 昔、住んでいたマンション、1階が私の実家で、2階には自閉症の男の子が住んでいました。今、タレントとして活躍している島田律子さんの弟さんです。
 律子さんとは同い年で、小学校、中学校、そして高校まで一緒でした。りっちゃんが弟さんについて書いた「私はもう逃げない」という本がドラマ化されて御存じの方もいるとおもいますけど、りっちゃんはこの本を書く事で、自分に自閉症の弟がいる、という事を世間にカミングアウトし、仕事等でも新しい境地を開いています。

 私はりっちゃんの本をよんで泣きました。りきくんがパニックを起こしてどんなに大変だったか、全然知らなかったから。

 みずくさいな~と腹も立ちました。でも近くにいるからこそ、大変さを隠したかった気持ちもわかるのです。無かった事としてふるまう事で自分を支えていた、そんなふうにも思えます。

 りきくんの御両親達が下総学園を作った事も知りませんでした。
りきおくんが小さいころはよくウチに遊びに来てくれていたので、私も下総学園をいつか訪ねたいと思っています。
 
 そんなりっちゃんと飲んでいて、ある時、私の母も自閉傾向が強い事を話すと、アスペルガ-症候群というのがあると教えてくれたのです。
 サイトを検索して症例をみると、あまりにもぴったり当てはまるので、笑えるほどでした。
 変わった人だな。冷たい所があるな。何でも言葉どおりに受け取る人だな。数学の能力は凄まじいな。などと母に対して思っていましたが、アスペルガーだと解ると、凄く納得が行くのです。
 一番喜んだのは母自身でした。今までは何かしでかして、人からいろいろ指摘されたりしても、何がどう、ズレているのか本人も今一つピンと来なくておろおろしていたのが、具体的な症例等をよんで、自分はこういう傾向が強いという事がわかった事でものすごく安心したようなのです。
 最近は面白い事をすると、アスぺちゃんだからね。と笑うまでになりました。

 私自身も変わった母に育てられ、そういうコミュニケーションを母体として育っているので、昔から変わっているとよくいわれ、マイノリティーの気分をよく味わいました。

 おまけに父が大陸育ちで、文化的背景は思いっきり中国人という人でしたので、異文化感がぷんぷん漂うウチでした。

 大学で文科人類学のゼミを受けた時に、中国の講師の方が来て講演をしてくれ、近くて遠い中国というテーマで、どうやって中国人と日本人を見分けるかというポイントを教えてくれたのですが(※)、父は完璧に中国人でした。それがわかった時、二十年来の重りがすーっと溶けてゆくのがわかりました。「ウチがなんか変わってたのって、父が中国人だったからなんだ!」


『アスペの母に中国人の父』

 こうなってくると、マトモとか普通というのは幻想で、みんなそれぞれいろいろは傾向があるのだという事がわかって来ます。
 日常生活を送るのに困るほどの片寄りというか重みがある場合は大変さが顕著ですけど、そうで無い場合も、生きにくさを、それぞれ違う方面で抱えているのでしょう。
 
 息子1は将来は医師になりたいそうですが、左利きなので不利かもしれません。人見知りです。
 娘は明らかにこだわりが強く、環境の変化になじむのが遅いタイプで扱いにくい子供です。
 夫も人見知りが強く、友達も少ないですし、内弁慶の典型という人間です。
 私はものの体積の認識が凄く苦手で、鍋の大きさの感覚がよくつかめません。ビンにいれると必ずあふれさせてしまうのです。動体視力も悪く、車の運転が出来ません。(車が運転できないなんてもし田舎に住んでいたら、ものすごいハンディキャップだとおもう。)

 りっちャんが本を出すまで、「あ~りっちゃん。あまりはしゃがないで」とハラハラする気持ちでテレビ等みていました。きらびやかな世界に無理に自分をあわせているのが薄々わかるので、辛かったのです。
 りきくんの本を書いてから、肩の力が抜けて素敵になりました。会って話をしても凄くいきいきしています。本心を表す事の素晴らしさをりっちャんから学びました。

 大変な事をカミングアウトすると本当に世界が変わります。大変な時は弱音をはきましょう。誰か分かち合える人はいます。私も努めてそうしたいと思います。

※中国人の見分けかた。
●顔を洗う時、手じゃ無くて顔を動かす。
●食卓に来たら、いきなり食べはじめ、食べ終わったら各自勝手に席を立つ。
あといくつかあったんですが、忘れました。
 


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